面倒そうに言う女は、アルバートをじっと眼鏡の奥から見据えていた。その目は案外鋭い。
「あんたがなにをしようが関係ないんだがね、うちの妹と弟を巻き込まないでくれるかい?」
「……は?」
「そこの第7王子さんの婚約者だよ。妹なんだ」
 背筋を悪寒が走った。
 ナギルは何を考えて、こんな女の妹と婚約したのだろう?
 異界に逃亡したナギルが、そこである女と婚約したという情報を、自分の持つ特別なルートで手に入れて不思議に思い、恐怖した。
 異界というからには、そしてナギルがこんなに急いで婚約を進めたということはなんらかの事情があるはず。
 なんとしてもナギルに優位に立たれてはとこちらの魔道士を使って召喚したというのに、失敗した。だが現れたのは弟のなりたての婚約者だというではないか。
 自分の世界とは違う様相に、アルバートは確信し、保護することに決めた。いや、人質としてナギルを呼び寄せようとしたのだ。
 丸め込める自信はあった。聞けば庶民の娘だという。それに、不可思議な力を持っていてもこちらには魔道士もいる。用心はしておくが、油断はしてしまった。
 美和はアルバートの恐怖を真っ直ぐに見つめていた。
 恐ろしい娘だとアルバートは思う。観念すべきか? それとも、みっともなく足掻くか?
 どちらにせよ、ナギルはこの女の言うことを信じ、自分をもう信頼していない。ここに味方はいないのだ。
 まさに孤立無援。
「兄上、兄上の希望はわかりました。この件はあちらに戻ってから対処しましょう。私も微力ながらお手伝いします」
 ナギルが小さくそう申し出るのをアルバートは不思議そうに聞いていた。そして片眉をあげる。
「私はおまえを殺そうとしたんだぞ?」
「……兄上にかかっていた重圧は私にははかり知れません。ですが罪は罪。王族として恥じないように行動するべきかと存じます」
「首を刎ねられておしまいだ」
 あっさりとアルバートが言い放つとナギルが口ごもる。まさにその通りだ。
 アルバートが罪を白状すれば、宮廷内は一気に騒乱になるだろうが……結局彼は処刑されてしまうだろう。
「まあ、殺すまではいかないまでも本当は身体が動かなくなれば良かったと思ってたんだろ、一番上のおにーさん」
 突然割り込んできた美和の声に反射的にビクッとするが、アルバートは観念して「ああ」と頷いた。
「まさか殺すとは思ってもみなかった。だが、結果は結果だ」
 第二王子の過激ぶりに驚いたが、それがどうしたと思う自分も確かにいたのだ。
 そわそわと落ち着かないインコが、美和の衣服の袖を掴む。
「ミワ殿、どうにかなりませんかの」
「…………あのねぇ、あたしゃ万能じゃないって何度言やぁわかるんだい。
 だいたい自分の家や、身内のことは自分たちで解決しな。あたしゃ、亜矢と由希を帰してくれるならそれでいいんだからさ」
「そんなあ! 自分たちさえ良ければいいとでもおっしゃるんですか?」
 泣きそうな声だが、べつに涙ぐんではいない。インコの表情は本当にわかりにくかった。
 だが美和にはすぐにわかったようで、顔をしかめる。
「巻き込んでおいて図々しいこと言うねぇ、あんた。どうするか決めるのは自分の意志だろ。知ったこっちゃないよ」
「ミワ殿の言うとおりだ。モンテ、兄上の犯した罪に関しては、こちらで決めるしかない」
 なにより、兄上が決めなければ……。
 ナギルとしては、できれば兄の希望を叶えてやりたかった。
 このままでは処遇は、良くて敵対国に一番近くの領土へ左遷、となるだろう。
 王族としての責任はナギルにもあるが、もっと気楽なものだった。なんだか……兄の姿が一回り小さく見えた。憐れだった。



 木暮家では「一件落着〜」とまではいかないまでも、そんな雰囲気をかもし出していた状態の際……。

 うそぉ……、と私は硬直する。
「王子!?」
 トカゲ頭の人が消えちゃった王子様にびっくりしてた。
 私は青ざめ、横に立つ由希に目を遣る。由希も状況がわからなくてきょとんとしていた。
 こ、これって……前代未聞の出来事じゃない……わけ? やばくない? いや、すごくやばい。
 私たちは再びべつの部屋へと案内され、そのまま待つように言われた。
 舌打ちする由希が唇を尖らせる。
「チッ。こんなことなら変装キット、何か持ってくればよかった」
 ……変装キットとか言わないの。だいたいそれも、お姉ちゃんの依頼があった時にやってたことじゃない。
 部屋の中は豪華絢爛で、ふわふわのイスに座っていると居心地が悪い。木暮家のあのソファが懐かしい。
 部屋の中を言ったり来たりしている由希が視界の中ですごく邪魔。
「ちょっと由希、大人しくしておきなさいよ。なにか不測のことが起きたのは間違いないんだし」
「どう見てもそうだろうよ。しかも、見た? あの王子の足元に小さく魔法陣出現してたの」
「え? ま、まほーじん?」
「何度説明すればいいんだよ! まったく、ここまでファンタジー素人だとこっちが情けなくなる」
 悪かったわね! そもそも普通に生きてる人はファンタジーのファの字とは無関係で済むんだから!
「オレたちを召喚した時のものに似てたから、あの王子はどこかに召喚されたんだろ」
「どこって?」
「そこまでわかるわけないじゃん。とにかく、状況をもっと詳しく把握しないとこっちも危ない」
 由希はこっちをじっと見つめ、目を細める。…………すごく嫌な予感。
「ね、亜矢姉。オレと衣装交換しない?」
「いやよ!」
 それにこれ、脱ぐのも大変そうなんだもの!
「ちぇっ。そう言うと思ったよ。んー……じゃあメイドの衣装を拝借したほうが早いな」
 え? なに? なに言ってんのこの子。
 私が頭の上に疑問符を幾つか浮かべていると、いきなりドアを開けた。そこには兵士が立っていて、思わず私はぎょっとした。
 み、見張られてる……!
 物怖じしない由希は唐突に英語で喋りだした。
 うぉ……さすがというか。我が弟ながら多才よね、本当に。英語の成績抜群だって聞いたけど、会話までできるとは。
 日本語よりも聞き取られ難いと判断したんだろう。由希は私が不調だというように身振り手振りまで交えて必死に訴えている。
 ……あれが演技だと知ってなければなんて姉思いなんだろうって感動するところなんだけど……。
 とりあえず調子を合わせて具合の悪そうな演技をしてみるけど、たぶん……由希から見れば大根役者なんだろうな。うぅ……。
 兵士はこちらの様子をうかがい、様子がおかしいと思ってくれたみたいだ。すぐに誰かを呼びに行くとメイドがやってくる。
 言葉が通じないのはイヤリングをつけていないのでわかった。由希はジェスチャーと英語でまくしたてていて、メイドを困らせていた。
 メイドは私のほうへと近づいてきて、様子をうかがってくる。運んできた盆の上には色んな茶葉が乗せられているから、まぁ薬の類いだとは思うけど……。
 ドアが閉じられているのを確認した由希がメイドの背後に音もなく忍び寄る。本当に猫みたい。
 一撃でうなじに衝撃を与えて意識を奪うと、由希は盆を奪い取り、私のほうに倒れてきたメイドにびっくりしつつ私は支えた。
「じゃ、衣装を拝借しようかな。体格はなんとかなるだろうし、この人にはしばらくオレの代わりをしてもらおう。
 亜矢姉はこの薬、飲んでるふりしてて」
「はあ?」
「敵情視察だって。すぐに戻ってくるよ」
「言葉も通じないんだから無茶言わないの! あんたどうするのよ?」
「美和姉ほどとはいかないけど、なんとなくわかると思うから大丈夫。それより亜矢姉、大根なんだからちゃんとやってろよ」
 忠告するなり、いきなりメイドを脱がし始めるので私は悲鳴をあげそうになった。