おうのせんてい?
 長い廊下を歩きながら、わたしはぼんやりと思った。
 さっきから「あの声」がずっと話しかけてくる。
 幼い頃のナギルのこと。王族のこと。国のこと。
 声を聞いているとぼんやりしてしまい、どうしても意識がはっきりしない。
 眠い。でも歩かないと。
<ほら、まだまだよ>
 まだって、もう1時間も歩き続けているのに。
 そういえば、追っ手の姿がない。無事に逃げられたのかしら?
 悩んでいると、声がまた応えた。
<だってもう、人間には追ってこれないもの>
 楽しそうに喋る声は一つじゃない。幾つも重なって聞こえる。
 なんだ……ま、助かったならいっかぁ……。
 のろのろと歩いていると、声が誘導してくれる。
 ねむいや……。
<『惑い』を起こすのをあなたに手伝って欲しいの>
 そういえばさっきからそればっかり……。
「おうのせんていって……?」
<知らないの?>
 声ではない声が驚いた様子をみせた。
 そんなこと言われたって……わたし、こっちの人間じゃないし……。
<今、この国の王は病の床についているわ。生死は私たちの管轄外だから、王がどうなるかわからないの。
 だから選定をおこなうのよ>
 だから、それがなんなのかって訊いてるのに……。
 そういえば私って、途方に暮れてたのよね? 由希だけ帰しちゃって……。そうしたらこの声が聞こえてきて……こっちよって……。
<それに、百年に一度、強化の儀式をおこなうの。私の森には魔法といういにしえの秘術がかけられているのよ>
「それを……強化するの……?」
<そう。手伝って欲しいの。あなたは次の王の妃になるかもしれない人だもの>
 そんな……ばかな……。
 だって私、そんなはず……。
 …………ああそうか。私、ナギルの指輪をつけてた。だから?
「なんでそんなことするの? えっと、強化の儀式ってやつ」
<人間が入ってくるのを防ぐためよ>
「ふーん」
 じゃあこの声の主は人間じゃないのね。そっかぁ……。まあ、なんでもアリかなとは思ってたんだけど。
 幽霊なのかなあ……。いつもなら悲鳴をあげるのに、どうにも眠くてそんな気も起きない。
 こつん、こつん、ってわたしの足音だけが響いてる。
 そういえば……なんか壁にコケみたいなものが見える。あれえ? こんな道通ったっけ?
 ぼんやりとした意識のまま、私は歩き続ける。
<あなた、お名前は?>
「亜矢」
<変わったお名前ね。あなたのこと、もっと知りたいわ。『リィエンの華』を身につけているってことは、第七王子の妃ね?>
 ちがう、と言いそうになるけど、なんだか口ごもってしまった。あれぇ? 変なの。
<ふふふ。第七王子ナギルがあなたの相手なのね?>
 違う。違うわ。
 それなのに、口に出せない。
 意識がぼんやりとしているだけじゃない。なんだかすごく、迷っている。
 まよって…………。



 モンテの顔色は優れない。
 何度かあちらの世界の様子を見ようとしていたが、なんとか繋がったのは3時間ほどしてからだった。
 あの小部屋が見えるが、亜矢の姿はない。別の場所をと探しても、見つかりはしなかった。
「『リィエンの華』を追え!」
 横からナギルが命じる。モンテはすぐに頷いた。
 すると、テレビ画面に亜矢の姿が、後ろ姿だが微かに映った。ノイズ混じりであまり鮮明とは言いがたいが、確かに亜矢だ。
 亜矢は背後からでも相当小さな傷を作っているようで、ナギルは絶句していた。由希はさすがに男性なので気にしていないようだが、亜矢までとは思っていなかった。
 自分がこの世界に来たために二人に迷惑をかけたことが浮き彫りにされ、ナギルはじくりと胸が痛んだ。
 亜矢はふらふらしながら、それでも真っ直ぐに見知らぬ道を歩いている。明らかにおかしい。
<アヤの夫となる、ナギル殿下ね?>
 声が部屋中に響き渉った。
 多重に広がる声に全員が硬直してしまう。
<アヤには『惑わし』を手伝ってもらうわ。悪く思わないで。指輪は後で王宮に届けておくから>
 くすくす。くすくすくす。
 笑い声が満ち溢れ、ナギルとモンテが揃って立ち上がった。天井へ向けて叫ぶ。
「アヤとは正式に婚約式を済ませていない!」
「そ、そうですぞ!」
<でも王族の指輪をつけてるわ>
 問答無用というように言い放ち、声が消えた。途端、テレビ画像も消えてしまう。
 しーん……。
 物凄く重たい空気の中、由希はおずおずと手を挙げて尋ねた。
「あの、『惑わし』って?」
「妖精たちの住む、シャレイの森という場所が国の端にあってね」
 と、説明をしてくれたのは、第一王子のアルバートだった。びっくりする由希に、彼は苦笑した。
「そこには結界が張られていて、人間は入れないようになっているんだよ。その魔法は百年に一度、弱くなる」
「弱くなるって……」
「それを強化する儀式には生贄が必要なんだ。王族の」
「……マジ、ですか」
「? 意味がよく通じなかったけど、これは大昔のことなんだよ。王族はもうそのしきたりには従っていない」
「え?」
 どういう意味かと由希がきょとんとするが、考えは遮られた。
「モンテ! オレをあちらに戻せ!」
 ナギルがモンテに、まるで怒鳴るように言い放った声はひどく切羽詰っていた。
「『惑わし』を起こしているなら、すでにアヤは妖精たちの術中にはまっている!」
「し、しかし王子……」
「ええい、諦めるなとミワ殿にも言われただろうが!」
 首元を掴んで左右に揺するさまに、由希はこれが大事件だと直感する。まずい……まずいぞ、絶対に。
(このナギルの様子、明らかにヤバイっての丸出しだし……)
「いや、先にこの私だ。モンテ、王宮に戻り、ナギルの身の安全を保証しなければ」
「そんなことは後回しです、兄上! 『惑わし』にかかっている以上、アヤの魂は分裂してあちこちを徘徊しているはず!」
「たましいのぶんれつぅ!?」
 さすがに由希が仰天してひっくり返りそうになった。
 ファンタジー免疫のあるオタクでも、やっぱりいきなり命の危機、しかも身内がそれにさらされているとなると、心臓が止まりそうになるものだ。
 ナギルは問答無用にモンテをテレビの前に押し遣り、背中を踏んづけた。ぎゅむ、っと。
 まさに王族らしい、尊大な態度だ。偉そうすぎて、アルバートとは雰囲気も何も合致しない。
「ししし、しかしぃ……」
 まだまごついているモンテの背中をぎゅむぎゅむ踏んで、ナギルはしぶ〜い声で言った。
「ミワ殿に知られるとまずい……」
 ぎょっとしたのはその場にいた全員だ。
 亜矢を一番心配しているのは美和である。長女というせいもあるが、彼女はかなりの過保護なのだ。……そうは見えないが。
 モンテは首だけ動かして、親指を立てた。
「了解です、王子☆」
 モンテ=インコ、ご乱心である。よほど美和が怖いらしい。

 幾つもの魔法陣。幾つもの魔法文字。魔術に連なる言語と、組み合わせ。
 それらを発現させ、モンテは脂汗をかきながらなんとか「門」を開いた。とはいえ、これも数秒もつかどうかだ。
「まずは三番目の兄上のところへ行き……いや、先にアヤだな」
「いいから早く!」
 アルバートが弟の背中を押した。「わっ」と悲鳴をあげて彼は頭からテレビに突っ込む。
「とっとと行け!」
 由希が蹴飛ばした。
 衝撃でナギルは隠し通路の小部屋の床に見事に落ちて額を打ったが、痛いだけで、ケガはないようだった。
「なにするんだ、おまえたち!」
 非難しようと背後の鏡を振り返るが、もう繋がっていない。
「………………」
 ここからは一人だ。
 第二王子の手の者に見つかれば命はないだろう。
 やることが増えた。まずは亜矢の魂を見つけなければ。
「部屋の扉は閉まっていない……」
 そっと扉の外を見るが、静まり返っている。亜矢がここから逃げたとは思えなかった。
(シャレイの森まで馬で行くしかないか)
 だがそれではどれほどかかるか……。三日では済まない。下手をすれば一週間はかかる。
「お姉ちゃん?」
 背後からの声にびくっとして振り向くと、衣装箱の近くに亜矢が立っている。とはいえ、ぼんやりとした姿で、向こうの壁が透けていた。
 俗に言う、霊魂、というやつだろう。
「………………」
 幽霊だろうがなんだろうが、オカルトには恐怖を感じないナギルはずかずかと近づき、ぼーっとした目の亜矢を見下ろした。
「おまえがここに居るということは、やはりアヤは間違いなくここに居たんだな?」
「…………あなた誰。お姉ちゃんはどこ?」
「………………おまえの姉は」
「お姉ちゃんじゃないとイヤ!」
 悲鳴をあげて彼女は顔を覆う。そして消えそうになった。
 まずいとナギルが手を掴もうとするが、すかっ、と空中を過ぎっただけだった。それもそうだ。相手には実体がないのである。
「ミワは迎えに来ると言っていたぞ!」
「嘘よ!」
 いきなり否定されて、「なにぃ?」とナギルは眉間に皺を寄せた。
「忘れたのか? オレはナギル。第七王子のナギルで」
「嘘」
「嘘なんてついてどうする」
「私を騙す気だわ」
「なぜ騙す?」
「あなたは嘘つきだもの!」
 …………うそつき?
 心外すぎる言葉に傷つきつつも、亜矢の様子が妙なのは気づいた。消えかけた魂が、また元の透明度に戻り、ぶつぶつと呟いている。
 これ以上は埒が明かない。
「そうだ。嘘つきだ」
 ナギルは面倒でそう言い放ち、亜矢を見る。
 よく見れば彼女は絶世ではないが顔立ちは整っており、由希のせいで目立たないが美少女に違いなかった。
(あれ?)
 と思ったのは一瞬で、そんなことはどうでもいいとあっさりと判断を下す。他人の見目などどうでもいいことだった。
「だからここには誰も助けに来ない!」
「嘘! お姉ちゃんは来てくれる!」
 そう言い放って今度こそ消えた。先ほどのような荒れ狂った消え方ではなかったので、「鎮まった」とみたほうがいいだろう。
 本体、というか、肉体のほうへ時がくれば呼び寄せられるはずだ。…………と、王宮の蔵書に書いてあった。以前にも似たようなことがあったのだ。
 そう、古い古い、おとぎ話のような大昔に。
 日本では「神隠し」とも言うが、こちらの世界では「惑わし」という。誰がおこなっているか明白で、犠牲もひどいものだった。
 しかし厄介なことになった。魂の細分化はすでにおこなわれている。亜矢の命が危ない。